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「出稼ぎからDekasseguiへ」
日本人が本格的にブラジルへ移民として渡ったのが1908年。
一方、80年の時が流れ、1989年の出入国管理法の改正により、
2、3世の彼らの子孫たちが出稼ぎ労働民として日本へ向かったのが1990年代のこと。
そして、2008年には日本人ブラジル移住100周年を迎えました。
この100年もの間、日本とブラジルは「出稼ぎ」という人の流れを通して、
20,000kmの距離を超え、強固に結び付けられてきました。
今日の日本国内において中国、韓国に次いで3番目に多い在日外国人がブラジル人である点や、
ブラジル国内では「Dekassegui(デカセ-ギ)」という単語がポルトガル語の広辞苑Houaissや
Michaelisなどに掲載されていることも、それを物語るうちの一つです。
そして、101年目を迎えた今、日本人とブラジル人、両者にとって「Dekassegui」は世紀を超えて
新たなフェーズへ突入しようとしています。
「Re-Dekasseguiの時代へ」
今までの出稼ぎとは、生活の糧を得るためのひとつの手段という側面が強かったかもしれません。
しかし、幸せの価値観が変わってきている今、ただ生活の糧を得るためだけではなく、
もっと他の何か大事なものを獲得するための出稼ぎの形態があってもいいのではないでしょうか。
そこで、僕はその形態の出稼ぎを「Re-Dekassegui(リ・デカセーギ)」と命名することにしました。
そう、勝手に。
命名したからにはまず自分自身が実践しなければと、日本人ブラジル移住100周年目に仕事を辞め、
2009年からサンパウロにて「Re-Dekassegui」生活を始めました。
「Re-Dekassegui」と言っても、これが日本とブラジルの間だけで実践されるべきものではありません。
たまたま僕は思春期にブラジルと出会い、この国こそもっと他の何か大事なものに溢れているのではないか
と信じているだけで、広義ではジプシーよりもよりノマド的な、北と南、先進国と途上国、都会と田舎も関係ない、
リージョンフリーな実践方法(ライフスタイル)となりえる可能性を秘めています。いや、それを目指したいところです。
このブログは、そんな「Re-Dekassegui」生活で得られる体験のほんの一握りの備忘録です。
藤井 勇人 - Hayato Fujii
1978年 兵庫生まれ東京育ち、リオ・デ・ジャネイロで思春期を過ごす
2001年 早稲田大学理工学部建築学科卒業
2002-2003年 サンパウロ州サン・ベルナルド・カンポ市役所居住環境局 スラムコミュニティで1年間研修
2003-2008年 WEB制作会社、建築プロデュースベンチャー企業、ODAに特化した建築設計事務所に勤務(東京)
2009年- サンパウロ市内の某建設系企業に勤務中
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